SHOBI 100th Anniversary Interview
尚美学園大学・尚美学園短期大学 校友会「尚友会」 会長
小山内 仁様
小山内会長は、尚美学園大学の同窓会である「尚友会」の会長を2020年から務めておられます。ご自身は尚美音楽短期大学(現:尚美学園大学)の6期生とのことですが、まずは尚美学園への入学を決めたきっかけからお聞かせください。
高校時代、私は吹奏楽部に所属して、オーボエを担当していました。当時から音楽を本格的に学びたいという強い思いがあったのですが、私が求めていたのは、演奏技術を磨くだけではなく、もっと根源的な“人としての在り方”までを育んでくれる、そんな学びの環境でした。そんなとき、部活動の顧問の先生から『こういう短大があるよ』とアドバイスをいただいたのが尚美音楽短期大学だったんです。専門性の探究と同時に、人間性の涵養を重んじる学園の理念に触れ、ここでなら音楽家としてだけではなく、人間として成長できると確信しました。それに、当時から尚美は吹奏楽のメッカのような存在で、非常に有名でしたから。
技術だけでなく、「人間性」を重視されていたのですね。小山内会長は北海道の函館がご出身とのことですが、当時の上福岡キャンパスに足を踏み入れてみて、いかがでしたか。
全国各地から志の高い学生が集まってきており、多様な背景を持つ仲間と切磋琢磨できる環境は大きな希望に満ちあふれていました。そして、入学してすぐに心を打たれたのは、やはり“智と愛”という建学の精神です。演奏技術の錬磨に限らず、音楽とは何か、表現とは何かという、根源から問い続ける学びと教育がありました。そこには常に人間の本質を見つめるという厳しくも温かなまなざしがあり、音楽を通して人格を形成するという高い理想が貫かれていたと感じています。加えて、当時の尚美音楽短期大学は、従来の音楽学科に加えて、音楽情報学科や音楽ビジネス学科といった、時代の先駆けとも言える最先端の学科を導入していたことも大きな特徴でした。当時の学長の赤松憲樹先生はその先見性にとても長けていました。そこがまた尚美の魅力だったことは間違いありません。
様々な魅力のある短大だったのですね。在学中、特に印象に残っている先生やエピソードはありますか。
当時、赤松学長がキャンパスにお見えになることも多かったのですが、学長が来ると学生の間にピリッとした緊張感が走るんです(笑)。昭和の時代ですから、ご指導も非常に情熱的でした。授業中に居眠りをしている学生がいれば、学長自ら教室に入ってきて怒鳴り飛ばすこともありました。でも、そこには学生に対する本気の向き合い方があり、私たちはその厳しさに不思議と感動を覚えていたんです。そして、もう一人、私の恩師でもあります徳山博良名誉教授のご薫陶は、今日に至るまでの私の教育観の元になっています。先生が繰り返しおっしゃった『祈りは実り』というお言葉は、私の人生の指針となりました。
深みのある言葉ですね。
単なる格言ではありません。教育の本質を体現する信念そのものでありました。教育者が真摯に祈るような思いで学生一人ひとりと向き合うとき、その祈りはやがて“実り”となって現れる。その姿勢こそが教育者としての覚悟である、と教えられました。私は徳山先生との出会いを通じて、音楽教育の道へ進むことを決意したんです。
小山内会長は尚美学園を卒業後、教職の道に進み、現在も松江市の開星中学・高校の校長を務めていらっしゃいますね。
実は10代の頃、水谷豊さん主演のドラマ『熱中時代』の北野広大先生に憧れて教師を目指していたという素朴な動機もあったのですが(笑)、尚美での学びを経て、それが、音楽を通した人間形成の支援という揺るぎない使命感へと変わっていきました。
同窓会についてもお聞きいたします。小山内会長は、在学中からすでに同窓会活動に関わっていらしたと伺いました。
そうなんです。当時は『奏朱会』という都道府県単位の同窓会組織がありまして。あるとき、赤松学長から直接『お前に北海道の函館支部を任せる』と言われたんです。右も左もわからないまま総会に出席したのですが、そこで学長から檄を飛ばされました。『もっと尚美学園の卒業生が一丸となって、それぞれの地域を盛り上げろ!』と。音楽教育でも演奏活動でも、尚美の卒業生という絆を大切にして、地方からブランド力を高めていけという強いメッセージでした。それはもう必死になりました(笑)。卒業後は教職に就きながら函館支部長として、卒業生と在校生の交流演奏会を企画したり、尚美の先生方を招いて吹奏楽コンクール課題曲の講習会を開催したりしました。吹奏楽連盟とも連携しながら、“音楽の尚美”の名を広める活動に邁進しました。
2020年には尚友会の会長に就任されました。短大から大学への移行期、そしてキャンパスの統合など、大きな変化の時期をどのように見てこられましたか。
最大の転換期は、2013年の上福岡キャンパスと川越キャンパスの統合だったと感じています。私たち短大出身者にとって、上福岡は思い出が詰まった聖地です。その場所を閉じるにあたり、大学と協力して、『ありがとう!上福岡キャンパス』というイベントを企画しました。
どのような内容だったのでしょうか。
卒業生や在学生、当時の先生方が全国から集まりました。総勢2,000人ほどいたでしょうか。最後には、みんなで『第九』を大合唱して締めくくりました。赤松憲樹先生は当時、病床にあられましたが、その志は確かに受け継がれ、伝統というバトンを新しい川越キャンパスへ、そして4年制大学へと正式に引き継ぐための大切なイベントだったと思っています。
現在は音楽だけでなく、スポーツや総合政策など、学部も多角化しています。
総合大学となった今の尚美を見ていると、新たな発見がたくさんあります。例えば、全米大会で活躍するチアダンス部や、地域振興に携わる学生、二科展に入選するような芸術の才能……。音楽に特化だった私たちの時代から施設や教育環境は大きく進化しました。一方で、学生一人ひとりを大切にする姿勢は変わっていません。温かさと真摯さは、今も尚美の誇るべき伝統です。“智と愛”の精神が音楽だけではなく、スポーツやメディア、アートといった異なるジャンルでも脈々と受け継がれているのを感じ、非常に誇らしく思います。
では、これからの「尚友会」の展望についてお聞かせください。
今、私たちが掲げている合言葉は“オール尚美”です。100年の歴史の中で、専修学校、短期大学、そして現在の大学・大学院および専門学校と、尚美は進化してきました。その尚美学園の存在してきた意義を、これからも様々な分野でしっかりと位置づけていきたいと考えています。それには『尚友会』はもちろん、在学中の『学生』や『先生方』、そして、保護者の会として『後援会』があるのですが、学生の親たちを含めた4者が連携を密にしながら、絆を深めて、次の100年に進んでいければと考えています。
組織としての「尚友会」の目標はどういったものなのでしょうか。
現在、全国に10の支部を作ることを目標に動いています。先日は九州支部が発足しました。まだ関西や中国・四国ブロックに空白地帯がありますが、なんとか全国のネットワークを完成させたいと考えています。それには、やはり今申し上げました“オール尚美”が大切なのかなと考えます。尚美ミュージックカレッジ専門学校同窓会の佐藤日呂志理事長とも、『大学と専門学校の同窓会で連携していきましょう』と確認して、認識をすり合わせています。2026年11月には100周年を祝う大祝賀会を合同で開催しますので、そこでも新たな交流が生まれるはずです。お互いに協力関係にあれば、大学の卒業生も、専門学校の卒業生も同窓会に入りやすいのではないかと思っています。
現役の学生や、これから尚美の門を叩こうとしている若者たちに、伝えておきたいことはありますか?
尚美学園の最大の魅力は、教職員と学生の“距離の近さ”です。学長の赤松先生が一人ひとりの学生の名前と顔を覚えていたように、今も教師と学生は信頼関係で結ばれていますし、学生一人ひとりを大切に、卒業後の進路である出口までしっかりと支援する姿勢を貫いています。『誰一人取り残さない』という教育が、尚美にはあります。100年という月日は揺るぎない土台です。でも、これは過去を記念するためだけのものではなく、次の200年に向かうためのスタートラインです。新しく入ってくる皆さんには、『挑戦を支える仲間と先生がここにいる』と伝えたいですね。失敗を恐れずに一歩踏み出せば、必ず自分の可能性が開花する環境が、この学園には整っています。
最後に、100年の歴史を支えてこられたすべての関係者への思いをお聞かせください。
これまで尚美学園を支えてこられた教職員、卒業生、そしてすべての関係者の皆さまに、心より敬意と感謝を申し上げます。私たちは今、その尊い歩みの延長線上に立っています。この歴史を未来へつなぎ、次の世代に手渡していくことこそが、私たち同窓生の使命です。『伝統と未来をつなぐ尚美の絆』を胸に、これからも私たちは歩み続けてまいります。Next200に向けて、ここからまた新しい物語を共に作っていきましょう。