尚美ミュージックカレッジ専門学校尚美同窓会 理事長
佐藤 日呂志様
- 佐藤理事長は、尚美ミュージックカレッジ専門学校尚美同窓会の理事長として、同会を牽引しておられます。まずは、尚美高等音楽学院(現:尚美ミュージックカレッジ専門学校)に入学されたきっかけからお聞かせください。
- 私の原点は、北海道は夕張の炭鉱町で過ごした中・高時代にあります。中学校ではクラス担任が社会科の先生でしたが、非常にアコーディオンと歌が達者な方で、大変生徒たちに慕われていました。その先生と卒業まで共に過ごす中で、音楽が大好きになりました。そして、高校では担任が音楽科の先生で、私の所属していた吹奏楽部の顧問を担当されていました。当時の私は吹奏楽部の部長を務めながら、先生がいない時は代わりに指揮を執るほど音楽にのめり込んでいて、平日は毎日のように部活動に勤しみ、土日の休みも山へ行ってトランペットを吹くような生活だったんです。そうした経験から、やがて音楽教員に憧れを抱くようになった私に、担任の先生が尚美高等音楽学院を勧めてくださって、同学院の教育科を受験しました。
- 当時の試験や面接の様子は覚えていますか?
- よく覚えています。面接官は、学園の礎を築かれた赤松憲樹先生でした。初めて見る東京の空気、そして赤松先生の存在感に、ものすごく緊張しました。『なぜ音楽の道を選んだのか』といったことを聞かれましたが、音楽教員になりたいという強い思いを伝えたところ、『わかりました。いいでしょう』と、入学を認めてくださいました。あのときの喜びは今でも忘れられません。
- 当時の学生生活はどのようなものでしたか?
- 私は北海道から出てきたばかりでしたので、西所沢にあった男子寮に入りました。周りは一面の茶畑です。近所に家がないのをいいことに、朝から晩まで遠慮なくピアノを弾ける環境でした。ただ、練習室は隙間だらけで、冬は手がかじかむほど寒かったことをよく覚えています。それでも、他の音大を目指す受験生たちと苦労を分かち合い、切磋琢磨した時間は代えがたい財産となりました。
- 音楽を学ぶ上で恵まれた環境だったということですね。
- 授業も非常に濃密でした。4年分の教育科目を2年間に凝縮して学ぶため、朝から晩まで授業が詰まっていました。教育科目はいわゆる教育原理や青年心理といった教育科ならではのカリキュラムがあり、音楽系ではアナリーゼ(楽曲分析)や創作(作曲法)、さらにはピアノの即興演奏や初見演奏など、現場に出た時に役立つ実践的な学びが多かったように思います。また和声や対位法など、理論の裏付けとなる考え方も学びました。私は尚美学園を卒業後、千葉県で教職に就くのですが、すべての学びが教員人生でとても役立ちました。
- 学園の精神である“智と愛”を、学生生活の中で感じる場面はありましたか?
- 先生方の温かさ、これに尽きます。特に印象深いのは、赤松憲樹先生と昌代さんご夫妻の姿です。当時、夜学に通う学生たちは仕事帰りに学校へ来ていました。昌代さんは、そんなお腹を空かせた学生たちのために、うどんなどを作って振る舞い、『頑張りなさい』と励ましておられました。まさに家族のような、アットホームな愛に満ちた場所でした。
- 授業でも先生方は熱心だったそうですね。
- 私は教員志望だったので、専門の先生方がとても丁寧に、楽器の指導や声楽など、幅広く教えていただきました。他にも、私が教育実習へ行く前には、同級生を生徒に見立て模擬の授業を行うわけです。音楽教員を目指しているわけですから、みなさんの前でピアノを弾くんですけど、『それは違う』とか、『それはもっとこうしたほうがいい』とか、具体的にアドバイスをしていただけたんですね。最後は『君は教員に向いているから、ぜひ頑張れ』とおっしゃっていただいて、とても勇気づけられました。
- それは、自信がつきますね。
- はい。学園祭の『尚美祭』では、声楽、作曲、管楽器といった多様な専攻の学生たちと協力し合い、教室でミニオペラを上演したこともあります。先生方が生徒たちの自主性を尊重し、『いいよ、いいよ』『頑張れ』と背中を押し続けてくれ、温かく見守ってくださいました。あの肯定的な空気こそが、尚美の“愛”だったのだと改めて感じます。他にも、各クラスの担任の先生が企画した遠足や、軽井沢セミナーハウスでの合宿なども忘れられない思い出です。
- 先ほどもおっしゃったように、卒業後は教職に就かれた佐藤理事長ですが、同窓会にはどのような経緯で関わるようになったのでしょうか。
- 教員になって数年後、30歳ころから同窓会の活動に関わるようになりました。当時、尚美の同窓会は県人会を母体として、専任の先生を中心に地区ごとに「奏朱会」という形で運営されており、その流れの中で参加するようになったのです。尚美は当時から就職率、特に教員採用試験の合格率が抜群に高く、全国に卒業生がいました。千葉にも尚美出身の教員が多く、奏朱会を運営されている先生から『組織のまとめ役をやってほしい』と声をかけられたのが始まりです。それから理事を拝命し、気づけば卒業から50年以上、人生の半分以上を同窓会と共に歩んできました。
- 同窓会では、具体的にどのような活動をされているのでしょうか。
- 活動の軸は『集まる、学ぶ、つなげる』の3つです。会報の『尚美同窓会だより』の発行や、年に1回の総会の運営はもちろん、卒業生たちの学び直しのために、ジャズ講座やダンス講座、ヴォイストレーニング講座や朗読ワークショップ講座など、様々な講座を展開しています。今年からは、楽譜作成ソフト『Dorico』の講座も始まりました。その他、研究会やコンサートなども定期的に行っています。尚美ウィンドオーケストラが地方公演を開催した際には、その地域の同窓会が積極的に関わり、地域の吹奏楽連盟との連携や学校に働きかけを行いました。
- 幅広く活動されていますね。
- そうですね。全国の支部と韓国などの海外支部のネットワークを活かし、同窓生の演奏活動を支援する『後援助成制度』も設けています。例えば、卒業生が何人かで集まって演奏会をやりたいと要望があれば審査の上同窓会で費用を助成します、という制度です。年間で60件くらいは助成しています。さらに、東日本大震災や能登半島地震などの災害時には被災した同窓生にお見舞金を送るなど、同窓会は単なる親睦団体を超えた“家族のような支え合い”を大切にしています。
- 絆の強さを感じます。そんな尚美学園も創立100周年を迎えました。今の尚美をどう見ておられますか?
- 私たちの時代は音楽が中心でしたが、今は声優、ダンス、舞台演出、エンターテインメント・マネジメント、そしてスポーツと、大学ができたおかげもあり、分野が劇的に広がりました。技術も進歩し、今では自分で演奏を録音したり、映像を作成したりすることが当たり前になっています。学校の名前も変わりました。しかし、どれほど技術が進化しても、尚美のよさは変わりません。私は同窓会活動を行う中で、尚美学園の職員室にご挨拶に行くことも多いのですが、そこでは、今でも先生と学生が膝を突き合わせて熱心に対話している姿をよく見かけます。この『学生一人ひとりを大事にする姿勢』こそが、尚美の不変の精神なのだなと感じています。
- では、最後にこれからの100年を担う在学中の学生たちや、若い世代の卒業生へメッセージをお願いします。
- 今、日本のエンターテインメントは世界から注目されています。これからの活躍の場は国内に留まらず、世界へと広がっていくでしょう。表舞台に立つ演者はもちろん、それを支えるPA、照明、マネジャー、エンジニア、その他のあらゆるプロフェッショナルが尚美から育っていくことを確信しています。同窓会は、皆さんが社会に出てからも戻ってこられる場所であり、違う道に進んだとしても、再び共に学び続けられる場所です。100年の歴史を支えてきたのは、先生方と私たち卒業生の絆です。この“智と愛”のバトンを、ぜひ次の時代に向けて、受け継いでいってください。